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山形県 山形市 山形城(日本100名城 27 ) [お城]

東北遠征、最後の仕上げは、、、山形城…蔵王から比較的近かったので、急遽、行きました。。。
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こちらは、平成3年に復元された二の丸東大手門…私は、北口に車を止めたので、これは、最後に見たのですが、、、
入るとこんな感じに・・・
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この二の丸大手門では、展示していました。無料です。
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瓦や復元の様子の写真等が飾ってあります。
そして、平成18年に復元された本丸一文字門石垣と大手橋、、、
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まだ、復元中の部分があるらしく、、、シャベルカーがいそいそと動いていました。
そして、スタンプがある山形市郷土館(旧済生館本館)へ
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この中で、スタンプをゲット、、、無料ということで見学。。。
山形県の明治時代の県令やローレツ博士のことやその頃の医療器具等が展示してありました。
これで、山形城見学も終わり~、、、公園の雰囲気は、学生が自転車で横断していて、地元の上田城を大きくした感じで何となく愛着がわきます(高校時代、通学で上田城公園を横断していたので、、、)

この山形城は別名霞ヶ城とも言います。1357年に最上氏(東北の有力な大名)の祖、志波兼頼によって創築。その後、最上義光に大規模な平城に拡張整備されました。最上氏の後の鳥居氏によって、城の形が決まったようです。
最上氏が治めている頃(江戸時代初期)は、57万石とかなり大きかったのですが、、、その後、お家騒動のため最上氏は近江で1万石という領地になり、その後鳥居氏、保科氏、松平氏、奥平氏、秋元氏、水野氏等に城主が移り変わっていきました。治めている領地も次第に減り、最後の水野氏の頃は2万石あまりのようです。
江戸時代の初期は、東北の押さえということで重要視したと思います(伊達氏の背後の押さえだと個人的に思います)、、、時代が安定期に入り、重要性が薄れて最後に2万石ということでも大丈夫だったのではないかと、、、個人的な見解ですが…

ま~東北のお城は、あと秋田県と宮城県、青森県の5城のみ。
また、来年、山とセットで遠征しようと思います(仕事次第の部分がありますが、、、)
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